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昭和27年頃、カトリック北仙台教会の主任司祭、ピエール・ビソネット神父は、結核に悩む貧しい人たちのために無料で治療する病院を建てようと、当時仙台に駐留していた米軍およびその家族から寄附を集め、来日中のフランシス・J・スペルマン枢機卿(ニューヨーク大司教)の援助を得て資金を準備しました。さらに東北大学医学部の診療面での全面的な支援を受けて、昭和30年カトリック仙台教区が80床の結核病院として開設しました。「光ケ丘」とは、聖書の中の「闇の中を歩む民は大いなる光を見る」
という由来によるもので、苦しみを通して喜びを見い出すの意味がこめられています。
その後、結核の減少とともに結核病棟はなくなりましたが、施設設備、職員スタッフの充実を図り、現在地域医療の中核となる140床の一般病院に発展しています。平成10年には、市民グループ「ホスピス設置を願う会」の働きかけがきっかけとなり、宮城県で初めてのホスピスが開設されました。また、神経難病や意識障害の方のために特殊疾患病棟もあり、他の病院ではなかなか受けるのが難しい医療を、小児科や産科と共に提供しています。
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